世界平和記念聖堂のドローン映像

~行きましょう、主の平和のうちに~

ヴィタリ・ドメニコ神父

 それはミサの最後の挨拶で、それによって私達は皆、遣わされてゆくのです。

 ミサという言葉は派遣するという言葉を意味する表現です。使徒たちを全世界に送られる時に、同じ意味の言葉が使われております。ですから、「さぁ、ミサが終わった、帰りましょう」いう事ではなく、帰って「派遣されている者としての仕事を始めましょう」と言わなければならないことでしょう。それによって私たちがそれぞれの家、地域、また仕事場に遣わされているという訳です。

 何のために遣わされているのでしょうか。使徒たちが遣わされたのと同じ意味で、私達もイエス様によって遣わされています。一体どういう仕事でしょうか。ミサの間にイエス様の平和を頂き、互いにそれを分かち合って、平和の挨拶も交わしました。その平和を託されて、家庭の中で、親子の間、また地域の中でも、あらゆる人と、その平和を実現させていくということです。それだけではなく、ミサの中で頂いた、さまざまな恵みと贈り物を皆さんと分かち合うためです。

 イエス様の命にあずかって、神様を父と呼ぶことができました。それも「ひとり」としてではなく、他の人々と共に、神様をまだ信じない人も含めて、彼らに代わって神様を父と呼ぶことをさせてくださいました。ミサにおいて表される神の家族を目の前にして、私達は同じようにどんな人をも兄弟姉妹として、迎える使命を受けました。

 また、ミサの中でイエス様は私達の罪を贖うために十字架の上にご自分をお捧げになりました。それに倣って私達も周りの人々のために尽くさなければならないことでしょう。また、ミサにおいてパンと葡萄酒の形で私達のためにご自分を与えるイエス様に倣って、私達もケチな形ではなくて寛大に尽くしていかなければならないことでしょう。

 毎年原爆の記念日にあたって酷い戦争の悲劇を思い出します。それは必要ですが、過去を作り直すことはできません。その日その日に、私達の平和への務めをもっと考えるべきではないでしょうか。

 現代は平和がとても必要とされています。そこで自分の国を守るために莫大なお金と労力を使っています。しかし、こういうやり方で続けていてもこの世に平和が訪れることはないでしょう。かえって毎日イエス様の模範に倣って、私達が平和の使徒になれば、必ずこの社会にも平和をもたらすことができるのです。ミサに与る事だけではなく、それに生きるようにしようではありませんか。私達がイエス様のように平和の使徒になれば千年かけても必ず平和な社会を作ることができるのです。